「二宮邦禎」三段(昇段審査を終えて)|立川市の空手道場「国際空手道連盟・極真会館(力謝会)・仁心道場」では見学・無料体験を随時募集しています

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「二宮邦禎」三段(昇段審査を終えて)

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ひとこと

昇段レポート

1983年(S58)10月、16歳になったばかりの高校生のわたしは極真会館池袋総本部の門をたたく。41年前ですがよく覚えています。
当時は、ブルースリー、ジャッキーチェン、少林寺などのブームでカンフーをやりたいと思っていたのですが、高校が池袋に近かったこともあり、恐る恐るでしたが極真空手に心を決めいざ…
入口でジャージを着た内弟子に案内され異様な雰囲気の地下道場へ。黄なりの道着と帯、そして黒色だと思っていた「極真會」のマークが青っぽい紺色だったことを知る。2階の道場に上がるとさらに異様な雰囲気に尻込む…
当時は毎日多くの入門者がいて、自己紹介があった。ごつい黒帯の先輩(三好先輩だったと思う)に促され、名前、年齢、職業、出身地を大きな声でと言われ自己紹介をする。声が小さいと腹を殴られていた。
テレビでもよく放送されていたジャッキーやブルースリーを見ていて、自分も強いと思い込んでいるなか、入門から3回目だったと記憶しているが、「白帯で組手やりたい人」と先輩から声がかかると思わず押忍!と手を上げる。まだ何もできない白帯同士の組手は潰し合いの地獄絵図であった…もちろんその日の帰りはびっこをひき痛さを堪えて帰りました。
心が折れかかかったが、世の中にはこんなに強い人がいっぱいいるのかと思い知らされ、逆に怖くて辞められなくなった。
とはいえ、道場が見えてくるとお腹が痛くなりサボる…
しかし、負けず嫌いでもなく、根性も無いがなんとか続けました。
そして初めての進級(当時は白帯から水色帯だった)は嬉しかったのだろうが、あまり覚えていない。
次の黄帯ぐらいからなんとなく強くなってきたのかと感じ始めたがやはり毎回恐怖であった。
当時の諸先輩の三好先輩、藤原先輩が支部長になっていき、内弟子の先輩が指導をするようになった頃、毎回違う内弟子の先輩の指導だが、一番嫌だったのが柚井先輩でした。とにかく休む隙もなくキツイ…
今日は誰かなと思い、柚井先輩が来ると相当嫌だったのを覚えています。
わたしは、飛び級もできず、1級ずつ昇級し、先に黒帯を取る後輩も出てきた…
そして念願の初段取得、二段取得。ここまでが総本部でのこと。
数年後、当時三瓶師範が代表だった極真会館(後の新極真)で、事務局と指導をすることになりました。
世界大会を終え退職。その後仕事の関係もあり、渋谷の新極真に籍を置くも、ケガが多く稽古ができない日々が続き、モヤモヤしているところに、2022年6月、あの本当に嫌だった柚井先輩が稽古会を開いていただけるということで参加。
あの総本部の稽古ができる嬉しさと恐怖といろいろ入り交じり複雑な心境。この時も膝を痛めていて、続けていたジョギングもできない状況の中、柚井先輩より、できることをやればいいよ!とのお言葉をいただき、この膝がどうなってもいいという思いで稽古をさせていただきました。手を抜いたら柚井先輩に申し訳ないという一心で頑張りましたが、ブランクのある50才半ばの身体は全く動いてくれない。でも稽古ができて本当に嬉しかった。これが当時の総本部の稽古でした。そして方向性に疑問のあった新極真を退会。
それから毎月開いていただいた稽古会には、当時の総本部に通っていたときと同じ気持ちで臨みました。もちろんお腹が痛くなる…でも手は抜かず思いっきり稽古をしました。
稽古会初参加から2年、柚井先輩から昇段審査受審の声がかかる…えっ!そんなことは考えていなかったので驚きましたが、一緒に稽古している皆さんと一緒に受審するということでやってみようという気持ちになりました。
そして、昇段審査は想像以上にきつかった…情けなさも残るがとりあえず審査を終えてホッとしました。
それから数か月、参段の昇段状と帯をいただきました。もちろん極真空手はここからがスタート。極真空手参段に恥じぬようこれからも精進してまいります。
総本部時代の嫌で厳しかったあの“極真”の稽古をいまでも継承していただいている柚井先輩、またその厳しい稽古を続けている仁心道場の皆さま。出会えなかったらもう極真空手を続けていなかったかもしれません。
この場をお借りして、柚井先輩、一緒に稽古をしていただいている皆さまに感謝と御礼を申し上げます。押忍
※総本部でご指導いただいておりました諸先輩を今でも“先輩”と呼ばせていただいておりますことご了承ください。

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