一般部
「佐藤明信」二段(昇段審査を終えて)
ひとこと
佐藤明信
昇段審査を終えて
私は、令和6年6月18日極真会館仁心道場にて昇段審査を受けさせていただき、この度二段の昇段の許しをいただくことができました。
柚井師範には、長年に渡り、御指導していだだき本当に感謝の念が絶えません、 ありがとうございます。
そして、道場で一緒に稽古していただいている道場生の皆様、いつもあたたかい支援感謝しております。
私が極真空手に出会ったのは、高校1年の春、40年近く前になります。
当時、静岡市内にあった大石道場で稽古していたのですが、しばらくすると、道場に身体中から凄いオーラを放つ黒帯の先輩が現れました。
一緒に稽古していた友人と、 その雰囲気に圧倒されてあの先輩、やばいなと話した覚えがあります。
勿論その黒帯の先輩が、柚井師範でした。
それから、稽古を続けていると柚井師範から、一緒に稽古しないかと声をかけていただき、嬉しくて仕方ありませんでした。
師範との稽古では、空手の稽古は勿論、トレーニング、食事の取り方等、全てに圧倒されて、極真空手の凄さを、師範を通じて垣間みることができました。
私の青春時代の一番の思い出と言えば、師範や当時の先輩方との稽古、師範につくっていただいた、すいとんの食事会等忘れることが出来ません。
その後私は、大学生活を経て、地元静岡で就職、家庭も持ち、心の中では、自分は極真空手を稽古したんだ、あの師範と稽古したんだと心の支えにしてはいましたが、稽古を継続していない状態でした。
すると私の生活を見透かしたように師範から、 そろそろ空手の稽古を再開しないかと連絡をいただきました。
師範は、 東京にいながら、 静岡にいる私に必要なのは空手の稽古ということがわかって
いたのだと思います。
それから、再び私の空手稽古が始まったのですが、 まずは私の心の弱さから始まり、体力のなさ、未熟さ等、全てが弱く師範や皆さんに迷惑をかけることになりました。
それでも何とか、稽古を続け、平成27年3月に初段に昇段することが許されました。
極真空手の黒帯の末端として稽古するなか昨年の秋頃、師範から来年6月に昇段審査を受けることを言い渡されました。
私が極真空手の二段になることはとても想像はつきませんでしたが、とにかく審査を受けるのではあればと私なりの稽古を始めました。
しかし、私の自分にあまい性格では、直ぐに変わるはずもなく道場では、毎回師範から厳しい叱咤激励を受けました。
昇段審査を受けるにあたり、自分なりに空手を見つめ直すと、師範の一つ一つの技や動作に意味があることが本当に少しですが、わかる気がしました。
それだけに師範に近づくには、膨大な量の稽古を真剣に望まなければとても出来ないことがわかりました。
また道場で稽古するということは、人生の道標を学ぶことではないかと思うようになりました。
それは、大きな声での挨拶から始まる礼儀作法から始まり、自分への挑戦、あきらめない心、そして師範がいつもお話する、アンテナを高くして、周囲の様子、人の気配、気持ちを察する感性を磨くこと等、空手を必死に稽古することは、 社会で生き抜く方法を学ぶことと自分なりに理解することができました。
そんな思いが芽生えるなか、 いよいよ今年の6月18日、 昇段審査を受けさせていだだきました。
審査の内容は、情けないことに自分の心の弱さに負け、ただついていくだけの時間となってしまいました。
それでも、師範からの厳しくも愛情ある言葉、一緒に受審している先輩や後輩のあきらめない姿を見て、何とか自分を奮いたたせて終えることが出来ました。
審査会では結果は、保留となりましたが、先日の稽古等を経て二段昇段がゆるされることとなりました。
心から師範、道場の皆様に感謝しております。
極真空手の黒帯と金筋の意味は、誰にも染まらない黒色という意味と金筋はその者の性根の筋の数を表すと聞いております。
今の私が、極真空手の二段の実力、相応しい人格が備わっていないことはわかっていますが、これからも、少しでも帯に相応しい実力、人格を磨いていきたいと思います。
師範が、稽古中によく話す、好きで始めた空手だろ、他は何より、空手だけは、自分に嘘をつくな、自分に負けてどうするんだという言葉が、心に残ります。
道場で自分に負けない心を鍛錬して、社会に貢献できる充実した人生を歩んでいきたいと思います。
押忍
令和6年8月25日
佐藤 明信