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「己に厳しく」帯どめ編

2024.03.13

☆「己に厳しく」帯どめ編

「帯どめ」
これが登場したのは何年前になるだろうか。
かなりの年数が経過していると思う。

私はこの「帯どめ」を不必要に思っているため、何故「帯どめ」が必要になったのかを私は知らないが、「大会」が大規模になり、かなりの試合数があるため、少年部の帯が解けてしまい、締め直すための「タイム」の時間が必要になり、そのため各試合でその無駄な時間を無くすのが目的なのではないかと想像出来る。
「運営」としてはプラスがあり、選手としては試合中「突き蹴り」に集中出来るため、「競技」としてもプラスがある。
大会の大変な運営のご苦労を考えれば必要な事なのかもしれない。
つまり「大会」としては「一利あり」なのだと思う。
しかし「鍛錬」「修行」「人生」という事になると「百害あって一利なし」と私は考える。
せめて「帯どめ」は試合の時だけにして、普段の稽古、自主稽古の時は「帯どめ」は外すべきであると私は思う。

前回の立川稽古会で、千葉県から3時間掛けて稽古に参加した中学生が来ていた。
真面目で頑張っている子だ。
いつも先生と一緒に稽古会に参加しているのだが、この時はひとりで参加した。

前から彼が「帯どめ」を装着していたのを私は知っていた。他にも「帯どめ」を装着している少年部参加者もいる。
池袋稽古会では、他の道場から参加している稽古生に対して、そこまで注意するのを控えていた。

しかし、私の本拠地である立川の「仁心道場」に3時間掛けて来てくれた熱心な中学生であるため、私の弟子同様に次のアドバイスをした。

私「この帯どめは普段の稽古中もしているのか?」
中学生「押忍。稽古の時は着けたり着けなかったりです。」

私「俺は試合中でも帯どめをするべきではないと思うけど、時代が時代だから、試合は殴る蹴るに集中するため、帯どめをするのは仕方がないかもしれない。
しかし稽古中に帯どめをするのは、お前自身の成長を妨げる、邪魔をする事になる。
俺がよくウチの稽古生にいう事は『帯が緩んでいるのは気が緩んでいるのと同じ!』。
意味がわかるか?
よーし!頑張って稽古やるぞ!と気合いが入っていれば、無意識のうちにキュッと強く帯を締める。
仮に少年部に力が無くて、キツく締められない場合は稽古の途中で緩んで来るだろう。
しかし、その緩んだ帯に自分自身で気付く事が大切なんだ。周りの人たちに指摘されるのではなく、必死に稽古をしている最中でも、何となく気になって帯を見てみると緩んでいた事に気付ける「感性」が大切なんだ。
帯が解けてからなら誰でも気付く、しかし解けてしまう前の緩んだ段階で何となく気付ける感性を稽古中に磨く必要があるんだ。
その感性を持てるようになれば、あらゆるところに感性のアンテナを張る「成長」の第一歩を踏み出せる。
そのアンテナは試合中の対戦相手の力量、技量、性格、技のクセ、戦闘力を一瞬で察知する能力を発揮するし、更に大事なのは、何となく気になったから、その方向を見たら、路上で何かに困っている人がいて助けてあげる事が出来たとか、何となく友達が気になるから話し掛けてみたら、悩み事だらけで困っていたから相談に乗ってあげる事が出来たとか、そのアンテナに様々な事をキャッチ出来るようになり、試合なんかよりもっと役立てるんだ。

「稽古」はそういう人間になるためにやるんだ。「鍛錬」はその器を拡げるためにするんだ。

そういった「感性」を養う事が一番大切なんだ。

帯が緩んだ事に気付く感性で、お前が素晴らしい成長を遂げる事が出来るのに、こんな布切れ(帯どめ)なんかに、お前の成長を妨げられていいのか?勿体ないだろ?道場の方針があるだろうから強制は出来ないが、もし大丈夫であれば少なくとも稽古中は帯どめを外した方がいい。」と話をした。

その中学生は「押忍!」と言って、次の稽古会では帯どめを外していて、声も大きくなり、顔立ちもしっかりしたように思えた。
私の話から何かを感じ取ってくれたのだろう。

古くさいオリジナルを伝える「稽古会」であるため人気はないが、彼の変化を観て「稽古会をやって来て良かった」と私は思った。

昔は少年部でも一般部でも「帯どめ」などしないで試合に挑んだ。
試合中に帯が緩まないようにキッチリ締めた。

本来なら、この覚悟を各道場で教え込めば、試合中に帯が緩む事もなく「帯どめ」は不必要であったはず。
しかし「時代」が生み出してしまった「帯どめ」を禁止する事は今更無理だろうから、せめて普段の「稽古」では「帯どめ」をやめて、「何が大切なのか」を頑張っている稽古生たちに伝えてあげる事が、師範・先生・先輩と言われる方々には必要であると思うし、その「責任」があるはず。
「帯どめ」で失われる事は余りにも大きいと思う。

(因みに親や先生が少年部の帯をキツく締めてしまったら意味がない。緩いながらも自分自身で締める事に深い意味があり、帯が緩むからこそ得られるプラスであるからだ)

今回は「帯どめ」が切っ掛けのワードだが、時代が変わり「空手道場」→「空手教室」になってしまった昨今、昔と比べて「失われた教え」「貴重な教訓」がいくらでもあるはず。
昔の世代の先生はそれを思い出すと同時に、「温故知新」で新しい世代の先生は昔の稽古・厳しさを調べて「無くしてはいけない大切な教訓」を新たにプラスして欲しいと切に願う。

bujutsudaishizen.com

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