噂の男|立川市の空手道場「国際空手道連盟・極真会館(力謝会)・仁心道場」では見学・無料体験を随時募集しています

0425235077

東京都立川市錦町6-20-17ライオンズマンション立川1F

見学・無料体験

ブログ

噂の男

2022.01.10

☆昨年他界された、ハンガリー極真の重鎮「フルコ・カルマン」師範の名前が、同年に記念公園の名称になった。

新たにカルマン師範について、書いてみようと思う。

「噂の男」……

当時、極真空手創始者「大山倍達」総裁の内弟子であった私は、東ヨーロッパのハンガリーから帰国したばかりの大山総裁から、総本部道場で朝礼の話を聞いていた。

大山総裁は「キミたちは、何で手を下に下ろしているんだ!拳を握って腰の高さに置かなければいけないじゃないのよ!」と興奮気味。

大山総裁の話の続きを記す………

ハンガリーで開催された大会に招聘されて訪れた大山総裁だったが、ヨーロッパ中から強豪選手が集まる大会では、その後に空手セミナーや昇段審査会があるのは常であったため、昇段審査会をチェックする事になる。
基本、移動基本、型と進み、組手審査の時の事。

極真の昇段審査会では、合格を目指して連続組手を行う。
初段10人、二段20人、三段30人……と増える。

ハンガリーでの、その審査会。
三段を目指す男の組手審査が始まった。
大柄なその男は、組手をやっている最中に気合いを入れる代わりに何かを叫びながら技を出し、相手の技を受ける時も、何かを叫びながら受けている。
何を言っているのか気を付けて聞き耳を立てていた大山総裁だったが、よく聞き取れないため、通訳を通じて近くにいた高段者に質問した。

「一体、彼は何を言っているのかね?」

すると

「オス、館長!彼は『キョクシン!!!』と言っているのです!」
「彼が相手を攻撃する時は、極真空手の攻撃はこんなに強くて早くて凄いんだという意味で『キョクシン!』と言い、相手の攻撃を受ける時は、極真空手で鍛えた身体と精神はどんなに凄い攻撃をされても痛みや苦しさには負けない、忍耐強く頑張るんだという意味で『キョクシン!』と言って気合いを入れるのです。」

これを聞いた大山総裁は大変感銘を受けた。
更にこの昇段審査会は基本から組手まで6〜7時間に及ぶ長時間のものであったにも関わらず、参加者全員は空手の動きをしていない時は微動だにせず直立不動で、両方の拳は腰の高さまで上げたままの不動立ちだったと大山総裁は言う。

その為、帰国直後の朝礼で「キミたちはだらしがない!」という事になった。

そして、この昇段審査会で気合いの代わりに「キョクシン!」「キョクシン!」と気合いを入れて三段の審査を受審していた男こそ「フルコ・カルマン」師範だったのだ。当然、三段に昇段。

数ヶ月後、ハンガリー軍人であり、コマンド部隊長であった、この噂の男「フルコ・カルマン」が、ハンガリー政府のバックアップを受けて、極真会館総本部道場に空手留学にやって来た。

私は初めて会うカルマン師範と気が合った。
一緒に稽古に出た後、カルマン師範は必ず細かくしっかりノートに記入する。
そして、わからない事は私に色々と質問をして納得してから、またノートに記入する。

毎日毎日、私とカルマン師範は総本部道場の前に座り込み、ノートを記入するカルマン師範と空手の話をしていた。もちろん、カルマン師範は他の色々な内弟子や黒帯の先輩方とも交流を持ち、見聞を深めていた。

私は、数え切れないくらいの空手留学生と接して来たが、カルマン師範より熱心に空手を学んでいた人間を見た事がない。
カルマン師範が一番熱心だった。
そして、この空手留学の後、カルマン師範はヨーロッパ極真の重鎮として、ヨーロッパ各国、ロシアに極真空手を伝えて行く。

大山総裁の晩年のオリジナルの極真空手を遺している外国人空手家の中で一番はカルマン師範であると私は思っています。

カルマン師範の空手留学生活も終わり、ハンガリーに帰国したが、カルマン師範は今度は私にハンガリーに来て欲しいという。

初めて私がハンガリーに行った時も、朝から晩まで空手の話、空手の質問ばかり。
稽古の前後も空手の質問、食事中も空手の話、リラックスするために行った温泉でも空手の話、本当に熱心だった。

いよいよ、私が日本に帰る時、空港での別れ際にカルマン師範は泣いていた。

それから、毎年ハンガリーの夏合宿にインストラクターとして招待されるようになり、長きに渡り交流を深めた。

私が組織を離れてからは、連絡を取らない時期が続いたが、数年前から別のハンガリー極真組織から招待を受けるようになって、再び交流が始まった。

別組織であるから、よくないと言っても「それは問題ではない」と言って、カルマン師範の道場に招かれて、稽古を担当して来た。

そうこうしているうちにコロナ騒動が始まり、渡航は難しくなり、そしてカルマン師範とは永遠のお別れとなった。

カルマン師範は人生の先輩であり、空手歴でも先輩であるが、「サトシ!」「カルマン!」と昔から友達のように接していたので、ピンと来ないのだが、ハンガリーでは軍人としても、スポーツ界の人間としても著名人であり、有力者であった。

「噂の男」は昨年、天に還り、多くの人たちに惜しまれたが、カルマン師範の事が大好きだった大山総裁とも、向こうで会っているに違いない。

カルマン師範がハンガリーやヨーロッパで遺した極真空手は永遠に受け継がれて行く事でしょう。

カルマン師範、ありがとうございました。押忍

bujutsudaishizen.com

pagetop

pagetop