「高日敏之」二段(昇段審査を終えて)|立川市の空手道場「国際空手道連盟・極真会館(力謝会)・仁心道場」では見学・無料体験を随時募集しています

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昇段レポート

一般部

「高日敏之」二段(昇段審査を終えて)

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ひとこと

「24 年_昇級・昇段審査会を終えて」
高日 敏之

事の始まりは、昨年 2023 年の年末でした。稽古の後、師範から「高日、昇段審査受けてみ るか」と突然、声をかけていただいた。一瞬、おっしゃっていただいた事が上手く消化でき ませんでした。自分は、諸事情で稽古の参加率も、ほんのわずか、合宿、試合の参加は皆無。 2015 年 12 月の昇級・昇段審査会で、黒帯をいただいた事だけでも有難く、空手を続けられ ていることが心の支えであり、これ以上は無いと思っていましたし、それが当然だと思って いました。初段取得から7年とはいえ、前述のとおりのずさんな参加状態。まったく審査を うけさせていただく条件に値しないと思っていた為、ただ、ただ、狼狽するばかり。「みん なも受けるぞ」と師範のお言葉。師範のお言葉は、いつも心に突き刺さる。「みんなも受け るぞ」、先輩方に会いたい、一緒に受けたいという気持ちが一気に沸き上がった。受けたい、 ただ、受ける資格があるのか。自分の中で、良くない天秤が動き出した。また自分の価値観、 ものさしで思い悩む自分がそこにはいました。思い悩む自分が間違っていました。師範が持 っていらっしゃるものさしは、もっと高次なもの、そこから生まれたお言葉だと気づきまし た。いつもの事ながら、気づくのが遅かったです。申し訳ございません。ただ、お返した言 葉は、「ご配慮感謝いたします。受けさせていただけるように調整いたします。」と、誠に弱々 しいもの、まさに様々な不安の先取りをする自分にもどかしさを感じました。その日は、最 後に師範から、「もっとがんばって稽古来いよ」と声をかけていただき、「押忍、がんばりま す」とご挨拶させていただき、お別れした。ここからが、自分の中では大変でした。審査ま で半年程度。長いようで短い。まずは、基本体力。全く無くなっていた。悪いことに、普段 の仕事もコロナにより、オフィス勤務から在宅勤務になった為、歩くことが激減し、筋量低 下、スタミナ低下のダブルパンチである。普段の 1 時間程度の稽古も、終わった後はフラフ ラ状態でした。審査は夏にかかる頃ということで、温度、湿度共に逆境状態。まずは、体力 作りである。試合に出させていただいていた頃は、夏でも、近所にある 200 段の石段を、両 足に 2kg 近い重りを、それぞれ巻いて、10 往復ダッシュが出来たのが、今回、再開した当 初は、重りを付けないで、3 往復でダウン。しかも、まだ冬場の条件でさえ、3 往復でダウ ンである。お話にならない筋力、体力である。時間を見つけては、少しずつ、往復数を増や していきました。そんなさなかに、冬場でした。走る前に、十分なストレッチもせず、階段 をかけ下がろうとしたところ、太ももに鋭い激痛が走り、動けなくなり、這って家まで戻り ました。肉離れのような状態でした。そのせいで、しばらくの間、走ることができなくなり、 ブランクが生じました。気持ちは焦るばかり。ようやく 3 週間後に回復し、再開。また 3 往 復からです。春に入る頃には、重りは付けていないですが、8 往復のダッシュができるくら いには、体力が付いてきました。しかし、またここで、アクシデントです。もともと、自分 は花粉症で、鼻にくるタイプでしたが、今年は、喉が痛くなり、咳き込むことも多くなって いました。これも新たな花粉症だと軽く考えていました。しかし、どんどん咳が酷くなり、階段の往復ダッシュ中も、ゼーゼー、ヒューヒューと喉が異常音を発し、呼吸困難に陥りま した。普通に階段を上がってくる人には、奇異の目で見られていました(笑)。状態が酷く なり、普段の日常生活でも支障が出始め、さすがに、一旦、病院で診てもらうことにしまし た。なんと、結果は、気管支喘息。しかも、しばらくほっておいた為、かなり酷い状態。医 者に説教されるのが嫌なので、「症状が出始めて、酷くなるまで、階段ダッシュしていまし た」とは、言わなかったです(笑)。薬を処方してもらい、状態は良化。階段ダッシュも再 開し、10 往復できるようなり、体力も付いてきましたが、気候も夏日になってきた最中の 道場での稽古には、まだまだついていける状態ではなく、大村先輩にも、「高日さん、審査 まで時間が残されていないなか、その体力は、まずい状態ですよ」と、ご叱咤いただき、極 力、調整し、道場での稽古も増やしていきました。課題は、もう一つ、型である。もちろん、 原点である基本稽古の一つ、一つの動きも、さらに重要であり、自分の繰り出す動きは、お 粗末だという事はわかってはいるのですが、型は覚えていなければ、お話にならない。特に、 撃砕大、撃砕小、最破、征遠鎮、十八、臥龍、観空、五十四歩である。ほとんど、動きの順 番さえ、忘れてしまっていた。かつて購入させていただいていた師範の型技術ビデオを毎日 観ることから始めた。そして、一つ、一つ、まずは動きをなぞっていく。とにかく、最初は 粗々ではありますが、順番と動きを覚えなければならない。最初は、仕事の後、部屋で実施 していましたが、スペース的に限界があるので、階段ダッシュ後に、近くの公園で実践した。 おそらく、近所の住民の方には、不審者と思われていたかもしれません。警察に職務質問さ れたこともあります(笑)。道場稽古の際は、大村先輩と一緒に型の稽古をさせていただき ました。次は、動きの精度です。ビデオを、食い入るように、何度も、何度も、再生しては、 巻き戻し、一つ、一つ、確認し、実践しては、また確認するということの繰り返しを行った。 十八、観空、そして、五十四歩は、動きの数が多く、歳のせいにはしたくありませんが、体 に覚えさせるのに、相当な時間を要しました。しかし、最低でも、順番は覚えないわけには いきません。審査の日まで、二週間となった時は、型だけに限らず、回転からの移動基本、 平安の裏も含め、昼夜問わず、とにかく、たとえ 10 分でも、時間の許す限り、稽古しまし た。そして、審査当日、6 月 16 日、朝早く起きて、最後に一通り稽古して、道場に向かい ました。この日、審査を受けるのは、二宮先生、須田先輩、佐藤先輩、大村先輩、凰介くん、 鶴丸さん、そして高日の、7 名だった。信繁くんは、審査を受ける予定だったが、都合がつ かず、この日は参加できなく、残念だった。朝、皆さんに、ご挨拶させていただくと一気に 気持ちに力が入った。自分が足をひっぱることは皆さんにご迷惑をかけてしまいますので、 それだけはあってはならないと思うと、緊張感が走る。道場に入り、師範にご挨拶をさせて いただき、道着に着替え、帯を締める。力を出し切るしかない、今となっては、もうこれだ けである。基本の審査が始まる。初夏とはいえ、すぐに暑さが襲いかかる。付け焼刃の体力 は、急速に奪われていく。精神力の弱さが、一つ、一つの動きに露呈する。話はそれますが、 ある仕事に関する実験で、能力的には同じ参加者を 2 つのグループに分けて、1 時間程度で 終わる仕事を、1 つ目のグループには、1 時間以内で実施するように指示し、2 つ目のグループには、2 時間以内で実施するよう指示したところ、1 つ目のグループは、1 時間で終わ らせたが、2 つ目のグループは、1 時間では終わらなく、2 時間を要したとの結果であった。 仕事の出来は同じレベルだった。これは人間の特性を表す法則とのことである。人間は、時 間を与えられると、与えられた時間で配分を行うという法則があるとの事。自分も、知らず 知らずのうちに、この法則に陥っていたのかも知れない。師範の道場では、あってはならな いと、頭ではわかっているにもかかわらずです。当然、師範から激が飛ぶ。我に返り、力を ふり絞る。師範から激が飛ぶ。基本の動きに悪い癖がついているとのご指導である。長年、 自分流でやり続けた結果の悪い癖である。空手の技は、正拳突きのみならず、引手が大事だ と言われ続けているが、これも苦しくなると、甘くなる。全てが自分の甘さの露呈である。 基本審査が終わるころには、既に体力の底をついている状態。「大丈夫なのか」、「あきらめ るわけにはいかない」、「今の自分の限界なのか」、様々な葛藤が始まる。移動基本の審査が 始まる。回転が加わる。暑さと体力の消耗で、動きは見るも無残だったと思います。ここか らは、正直、気力のみでした。続く補強も、ついていくのが精いっぱい。いえ、ついてもい けていなかったと思います。そして、意識が朦朧とし始めたところで、型の審査が始まりま した。全くと言っていいほど、体が動かない。平安の裏は、どちらに回転しているのかわか らない。そして、普段の稽古では実施していない、自分には高難易度の型が始まった。順番 をなぞっているだけの自分の型が始まった。師範がおっしゃる、どうしたらそんなに下手に できるのか教えてほしいという、自分の型である。最後は、組手。もう、自分の体重を支え る力も残っていないような状態。とてもじゃないが、立っているのが精一杯で、組手とは言 えない有様。他の受審者の方々との大きな格差を思い知らされた。審査終了。結果は全員が 保留だった。自分は、再審査でもおかしくない有様。全く異論は無かった。当然だと思った。 少なくとも自分はである。師範の貴重なお時間を使っていただいたことに、申し訳ない気持 ちで一杯だった。審査の後は、食事をご一緒させていただきました。食事中は、審査の事は あまり口にされず、なごやかな雰囲気を作っていただき、本当にありがとうございました。 自分の審査内容は杜撰な有様で、言える立場ではありませんが、自分としては、実りある有 意義な一日を過ごさせていただき、大変感謝しております。そして、保留状態となった今、 この日から何を反省し、何をするべきなのかを考えて、実践する期間となる。師範からは、 「再確認する」との事で、多くを語られませんでしたが、何をするべきなのかは、自分がわ かっているはずで、自分で考える、という事だと解釈させていただきました。最低限として、 暑さに耐える体力をさらにつけて、気力を失わない事。さらに、ご指導いただいた悪い癖を 修正し、一つ、一つ、の基本の技を見直す事。型については、苦しくなっても、体が自然に 動けるまで、体に覚えこます事。この 3 つを実践する事にしました。そして、極力、調整し て、道場稽古に参加するようにしました。自宅での自主稽古は、どうしても、自分の尺度で 考えてしまうからである。特に、難調整して(笑)参加させていただいた 7 月 21 日の稽古 会は、自分にとっての貴重な一日となった。この日も、灼熱地獄、ただ、参加者も多く、刺 激を得られた事、特に、エリザベス先生の気迫と、技のキレ、力強さには、驚きを隠せず、非常に感銘を受けました。池袋の総本部道場で研鑽を積まれたとの事で、納得しつつ、自分 とは別次元を感じました。そして、なにより、師範から色々なご指導、お話もいただき、技 の鍛錬のみならず、自分の人生の糧もいただけた事。師範のご指導ならではの大変密度の濃 い一日でした。参加させていただき、本当にありがとうございました。そして、時は、あっ という間に過ぎ去り、最終確認日の稽古会 8 月 18 日を迎える。この日は、朝から曇り空で、 気温も比較的、高いというほどでも無かった。審査会の参加者全員と、今回は、審査会に参 加できなかった信繁くんも参加の 8 名である。師範にご挨拶させていただき、ほどなくし て開始。緊張した空気に包まれる。ここにきたら、もう後は無いという気持ちで、力を出し 切るだけである。やはり暑さに襲われる、しかも今回は湿度の高さに悩まされた。基本稽古 が始まって早々に、滝のように汗が流れる。脱水症状なのか、意識が怪しくなってきた。師 範の特別のお計らいである技と技の間の深呼吸の時間になんとか救われながらも、基本稽 古の後半でした。回し蹴りの最中に、目の前が真っ暗になった。意に反して、意識が遠のい ていくのがわかる。「高日!!」、師範の激が遠くに聞こえ、我に返る。なんとか、首の皮一 枚つながって、基本稽古が終わる。まだ基本稽古が終ったばかり。最後まで、立っていられ るのかさえ、不安な状態。ここで倒れたら、全てが台無しになり、皆さんに迷惑もかけるこ とになってしまう。得も知れぬ恐怖に襲われる。審査会から今日まで何をやってきたのか。 移動稽古が始まり、型まで意識を保つのが精一杯の状態。最後の信繁くんの組手の頃には、 少し意識が戻り始めたが、時はすでに遅かった。稽古会が終了した。自分としては、審査会 の時よりも、動けず、最悪の状態。やはり、弐段位の帯など締める資格は無いと思った。師 範から帯をいただいた。常人の自分には、師範のお心内は、とうてい知ることには至りませ んが、自分に勝ったか、負けたかを見ていらっしゃるのであろうか。まだまだ研鑽が足りま せんが、師範にいただきました弐段位の帯の価値に値するよう、一歩、一歩、今後も精進し てまいります。最後になりましたが、参加されました二宮先生、須田先輩、佐藤先輩、大村 先輩、凰介くん、信繁くん、鶴丸さん、ご一緒できて本当に感謝しています。皆さんのおか げで心が折れず、乗り切ることができました。本当にありがとうございました。長々と、乱 文を綴らせていただき、大変恐縮です。無作法な表現がありましたら、ご寛恕いただけます ようお願い申し上げます。
押忍

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