2015年12月20日、昇級・昇段審査のレポート|立川市の空手道場「国際空手道連盟・極真会館(力謝会)・仁心道場」では見学・無料体験を随時募集しています

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昇段レポート

2015年12月20日、昇級・昇段審査のレポート

ひとこと

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「昇級・昇段審査会を終えて」

高日 敏之

昇段審査のお話をいただいたのは、忘れもしない2015年の7月11日の土曜日、夏の暑い盛りの日であった。この日は、八王子の市民体育館の登録更新ということで、朝に豊田先輩と待ち合わせをしていた。自分は多少早めに体育館に到着し、野球の試合でもあるのであろうか、若い少年達が元気の良い挨拶を交わしていた。その姿を眺めながら時間を潰していると、豊田先輩が到着された。「押忍」、挨拶を交わし、無事に更新の手続きを終えた。そんな時であった。豊田先輩が、おもむろに口を開かれ、「師範から、高日に、12月の昇段審査会を受けたいかどうか聞いておいてほしいとの話がありました」との話をいただいた。自分の第一声は、「ええっ!」であった。あまりの予想外の話、青天の霹靂で、始めはそんな言葉になってしまった。しかも昇段、師範から黒帯をいただくというのは、道場生、いや、東京西支部時代に、他からも至難の業という話を聞いていた。今の状態の自分が、果たして、受けていいものなのか、受ける資格があるのか、戸惑いが頭の中を駆け巡る。そんな中で出た第二声は、「検討させてください」であった。ただ待て、「検討させてください」というような、社会生活で良く使われる、あいまいな、都合の良い言葉は、この道場には存在しないことを忘れていた。師範は、自分にとって意味があるから、「受けたいか」という言葉で勧めて下さっており、最後は自分で判断しろということである。それを受けて自分としては、はっきりとお答えするべきであり、白か黒しかない。グレーはないと思った。「受けたいです」と豊田先輩に伝言をお願いさせていただいた。入門させていただいてから、13年間、師範の言う黒帯にふさわしい資質にまで、成長できているのであろうか。黒帯の審査というのは、特に資質を問われるものだと、自分では思っている。自分で自分を見つめると、その資質があるとはとうてい思えない。師範は、試してみろというお考えなのだと思った。今からさかのぼること31年前、子供の頃から憧れだった武道に足を踏み入れた。話は長くなるが、子供の頃、断然人気があったのは、ブルース・リーであった。自分も強さの憧れの的として、やはりこのブルース・リーが好きだった。テレビで映画が放映される度に、熱心に彼の華麗な姿を追い、そしてよく真似事をしていたのを覚えている。子供の頃は、背丈も小さく、華奢な体格であった為、良くいじめにあっていた。幸い、現在のような1個人を標的にしたような陰湿ないじめというわけではなく、昔はよくいた健全な不良グループ達(笑)による不特定のいじめ対象の一人であった。もちろん、いやではあったが、根が明るい性格もあり、精神的に追い詰められるということは無かった。ただ、けんかに強くなりたい、ブルース・リーみたいに強くなりたいとは思っていた。ただその時はまだ、自分から武道の世界に飛び込んでみようという勇気までは無かった。きっかけは、31年前に訪れた。大学に入学したと同時に、受験、受験という苦しい期間から解放され、やっと遊べる(笑)と思った。大学に入ったら、楽しいサークルに入って、楽しい学生生活を過ごそうと思っていたので、かわいい女の子が多そうなサークル(笑)を物色していた。テニスサークル、スキーサークル、ただ、そのちゃらちゃらした雰囲気になぜか違和感を覚えていた。価値観は人それぞれだと思うが、自分としては、何か違う、本当にこうゆうところに入って、充実した学生生活、その先の社会生活の糧として役立つのだろうか。そんなことを考えながら、決めあぐねながら学内を歩いていると、体育局(体育会系のクラブ)の勧誘をしている一角があった。空手部、剣道部、柔道部、少林寺拳法部、皆、道着姿が凜としてまぶしく映った。子供の頃から憧れだった武道、これを機会にその道に入ってみたいという気持ちが湧き上がってきた。ただその時は、空手については、一番の憧れであったが、同時に畏怖の念も抱いていたので、入門する勇気は無かった。そしてこの時選んだのが少林寺拳法だった。体育会系ということで、縦社会であり、先輩のおっしゃることは絶対だった。週に6日間、夜遅くまで稽古が有り、学業との両立は、それは大変なものだった。学業に追いつけない等の理由で、途中で退部する同期もいた。自分は、学ぶことも多く、先輩方も尊敬できる方ばかりで、充実を感じていたので、辛いことも多かったが、卒業するまでの4年間は身を置き続けた。卒業後、同期の中には、道場に通い続ける人もいたが、自分はそれ以後、疎遠になってしまった。なぜだかは具体的にはわからない。何か肌で感じていたものが違っていたのだと思う。それから、社会人となり長い間、武道との関わりは、無くなってしまう。そして、今から13年前、新たな出会いが生まれる。自宅のポストに一枚のチラシが投函されていた。「極真空手、あなたも極真空手をはじめてみませんか。心身鍛錬・健康維持・礼節・いじめの防止・美容・ストレス解消・体力作りなど、老若男女は問いません」、極真空手、あの世界最強と謳われているフルコンタクト方式の極真空手、その名を聞くだけで、震え上がるほどの恐怖を感じる。極真空手をやっている人は、人間とは思えなかった(笑)。ただ、その時、やってみたいという強い気持ちを持った。指導は、大山倍達総裁のもとで、長年直接指導を受けた師範(五段)、やっぱり怖いからやめようかな、ただ、サークル活動で、気軽に稽古出来ます、ストレス解消、体力作りと書いてあるので、大丈夫かな、迷ったあげく、無料体験に申し込んだ。そして、その日が来た。指定された場所に訪れた。そしてその場所に師範がいらっしゃった。全身から非常に強いオーラを放っていらっしゃる方というのが第一印象だった。その日は、一緒に稽古をさせていただき。色々と声もかけていただいた。最後に「また来てください」とおっしゃって下さり、サークルではあるが、入門させていただいた。学生時代に、武道をやっていたといっても、何年も経っており、又、若いとはいえない年齢でもあり、最初は基本の最中からスタミナが切れて、ふらふらだった。稽古が終わる頃には、もうぐったりであった。先輩方との組手は恐ろしく、突き蹴りは、全身に響き渡るほど痛かった。全身が見たことも無いほど痣だらけになり、帰宅して風呂にはいった時に、鏡に映る自分の体を見るのが恐ろしかった。夏場、会社で、つい腕をまくっていると、「うわ!どうしたのですか?」と奇異の目で見られた。少し事情を話すと、「なぜ、わざわざ痛い思いをしてやるのですか?体を鍛えるならジムとかでいいじゃないですか?」と言われた。詳しく説明しても、実際にやってみないとわからない事が多いと思ったので、決まって、最後は「好きだからです」と答えた。結局、好きじゃないと、ついていけない世界だと思ったからだ。社会では教えてもらえない様々な貴重な経験をさせていただき、充実した月日を送ることができた。そんな折、師範から、「試合に出てみないか」とのお言葉をいただいた。第一声は、「試合?ですか?」だったと思うが、心の声は、「極真の試合なんかに出たら殺されます。絶対無理です。」(笑)だったと思う。ただ、師範には、「出させてください」と、ほぼ即決でお答えさせていただいた。師範のお考えあっての事だと思ったからだ。ただ、お答えさせていただいた後、非常に後悔の念に駆られたが(笑)。忘れもしない、全関東大会である。全関東大会といえば大きなブロック大会。しかも、猛者揃いの一般の部で出場。その時、自分はまだ青帯だった。師範のご指示のもと、試合に向けての稽古にも参加させていただいたが、試合の日が迫ってくるにつれて、恐怖も膨れ上がってきた。そして、試合の日がやってきた。試合会場では経験したことのない殺気立った雰囲気にのみこまれ、逃げ出したい気持ちになった。プログラムを手渡され、トーナメント表で自分の対戦相手を確認する。茶帯の方だった。また逃げ出したい気持ちになった。試合が近づくにつれて、恐怖で足が震える。そして、とうとう自分の試合がやってきた。名前を呼ばれる、返事をしてコートに上がる、めまいで倒れそうだ。試合開始、もう頭の中は真っ白だった。がむしゃらに突きを出していく。技をしかけるとか、攻撃を受け払うとか、そんなものは無かった。ただがむしゃらだった。時折、足に激痛が走る。試合終了。なんとか倒れなかったものの、当然、敗退であった。終わった後、対戦相手の方に、挨拶に行き、その足で師範にご報告に行った。師範に、手を握っていただき、「茶帯相手に、あそこまでできればたいしたもの。良かったよ。」と言っていただいた。初めての試合、何よりも嬉しかったのは、そのお言葉であった。今でも記憶にしっかりと残っている。その後も師範に勧めていただく試合は極力参加した。立川に道場が開設され、サークル生から道場生となった。サークル生として入門した当時は、稽古が恐ろしかったが、極真空手の道場生となり、非常に誇りに思った。ただ試合のほうは、1回戦敗退ばかりだった。極真の試合に勝ち上がっていくなんて自分にはとうていできないものだと思っていたし、参加することに意義があると思っていた。ただ、師範の体の軸を鍛える稽古のおかげで、次第に少しずつではあるが、勝ち上がることができるようになってきた。勝ち上がることができたもう一つの大きな原動力は、師範からのアドバイスはもちろん、ウルリカ先生、諸先輩、道場生の方々、そしてご父兄の方々の熱い応援である。これが試合の後半ラスト30秒、15秒の苦しい時に、力を湧き上がらせてくれる。この応援無くしては、心が折れてしまっていたに違いない。試合のたびに心から感謝していた。師範の道場では、空手の修行を通して、周りにどれだけ気が配れるか、そして、どれだけ人の為になる行動がとれるかを学ぶ。人の為になるかであって、単に優しく接するということではない。まだまだ自分はその域には達していないが、いかに人の成長に生かせる行動をとれるかである。試合での応援もその一つであり、単にがなり立てるのではなく、その人に、苦しい時にいかに気持ちを強く持たせるかを言葉して心に届かせるということだと思う。その後もたくさんの試合を通して、貴重な経験をさせていただいたが、試合といえば、やはり記憶に焼き付き、忘れられないのが、第9回マス大山メモリアルカップである。多くの外人選手も参加する大きな試合である。師範から話をいただき、出場させていただくことになった。この試合に向けての稽古は、平日の2回の稽古に加え、強化稽古、合宿稽古等、内容もきつく、精神的にも肉体的にも辛かった。とことんまで追い詰められた。ただ追い詰められた分だけ強くなっていく自分も感じていた。そして試合当日を迎える。トーナメント表には、有段者が並ぶ。猛者揃いである。ただ、ここまで来たら、もう自分がやってきたことを出し切るしかない。いつもは緊張で体がこわばるのだが、幸い、師範が新たな試みとして始められたメディテーション、瞑想を朝から実施していたので、心が落ち着き、平常心でいることができた。今までやってきた稽古の数々、瞑想、そして応援が一つの大きな力となり、決勝戦まで勝ち上がることができた。決勝戦では、屈強な外人選手の桁違いのパワーに最後は押し切られ敗退してしまったが、自分がやってきたことは出し切ることはできたので悔いは無かった。今までの人生では経験したことが無いほど、すがすがしく、本当に気持ちがよかった。師範には、あまりに大きな糧をいただいたことに、感謝の言葉も見つからないほどであった。ただ、ここには詳しくは書けないが、様々な事情により、この試合を境として、道場から足が遠のいてしまう。師範には、お電話をさせていただき、最初は退会させていただきたい旨をお伝えした。お忙しい中にもかかわらず、親身になって話を聴いて下さり、「せっかくここまでやってきて、もったいない。止めたら終わり。それは自分の人生のためにも良い選択肢とは言えない。たとえ稽古に来る日が減っても、空手と接する時間を持ったほうが良い。」とのお言葉をいただき、ウルリカ先生にも、ご心配いただいて、メールをいただき、お電話もさせていただいた。自分のような劣等生に、このような親身なお言葉をかけていただき、本当に有り難いと思った。気持ちの中ではもう退会することを決めていたのだが、いただいた言葉を真摯に受け止め、月に1~2回でも、続けさせていただくことになった。何か目的があったほうが良いだろうとういうことで、この2012年の12月には審査も受けさせていただき、茶帯をいただいた。空手を始めた当初は緑帯がとてもかっこよく、緑帯までは取りたいと思っていた。その先は、自分には、到底、手の届かない世界だと思っていた。だから、茶帯をいただいた時はもう思い残すことはない(笑)と思った。またこれからは、空手を止めずに続けること、道場との接点を持ち続けることを大事に考えていきたいと思った。その後、少ないながらも稽古を続けさせていただき、機会があれば、親睦会にも誘っていただき、3年が過ぎようとした時に、今回の昇段のお話をいただいた。その時の驚きと戸惑いは、冒頭に書かせていただいた通りだが、いつも師範のおっしゃることは意味があると思い、受けさせていただくことにした。ただ当然、稽古量が少ない為、精神的にも肉体的にも、そして技量も昇段の基準より、はるか下にいるという状態である。審査が終わる時間まで、立っていられるかさえ疑問な状態である。道場に通えない分、自主的な体力作りからだ。基本的な体力が無いと、技量の審査をいただくどころではない。あいかわず仕事は多忙な状況だが、通勤中、仕事中、そして出張が多い為、出張中も、エレベーター、エスカレーターは使わず、階段を利用し、出張中は、時間の許す限り、駅から目的地まではタクシーを使わず歩いて行き、足腰を鍛えることにした。そして毎日かかさずに腹筋運動をし、休みの日は、自宅近くの200段ある階段を利用した昇降ダッシュである。両足に2kgずつのウエイトを付けて、始めは3往復から始め、5往復、7往復、10往復と量を増やしていった。階段の途中の踊り場では、拳立て、ジャンピングスクワットも実施した。近隣の住民からは、少し奇異の目で見られた(笑)。自分が一番の苦手とする型は、まずはDVDを何度も見て、動きを確認。実際に、やってみると、全く動けない。単なるダンスになっている。あせる。またDVDを見る。動きを確認。やってみる。この繰り返しを何度も実施した。なぞっているだけで、キレが全くない。あせる。ただ、あきらめることだけは、絶対してはならない。時間があれば少しでも体を動かした。審査の日が迫ってくる。問題は組手だ。この3年の間、ほとんどやっていないことが歴然と結果に出てくると思った。打撃力も落ちているであろうし、もちろん打たれ弱くもなっている。立っていることさえできないかもしれない、不安が頭をよぎる。自主的な筋トレ、走りこむことによるスタミナ作り、あきらめず、できることをやるしかない。そして、ついに、12月20日、審査の日を迎えた。その日は、幸い晴天でさわやかな日だった。余裕をもって、多少早めに自宅を出発し、道場には6時50分に到着した。少しすると、豊田先輩がいらっしゃり、その後すぐに、柿谷さん、須田先輩もいらっしゃった。4名で審査の設営をする。須田先輩も、今回、昇段審査を受けられる。須田先輩とは、何度も一緒に外部試合に同行させていただき、色々と話もさせていただき、又、試合ではお互いの勝ち上がりを願って、応援し合った、非常に強く、又、魅力ある先輩である。一緒に受審させていただくことを心強く感じた。そして、今回、もう1名、二段への昇段審査を受ける方がいらっしゃった。北海道で、ご自分の道場を開設され、その代表であられる越智先生である。過去の試合で上位入賞の戦歴がある方ということを大村先輩からお聞きしていた。一緒に受審させていただき、光栄に感じるとともに、組手であたったらどうなるのだろうという不安も感じた。そして越智先生がいらっしゃった。元気良く、ご挨拶をさせていただく。非常に穏やかな先生というのが、第一印象だったが、内に秘める底知れぬ強さは感じた。そして今回は、佐藤先輩、北崎さんにも駆けつけていただいた。受審者がぞくぞくと集まってくる。グループに分かれて、周囲のゴミ拾いを始める。時間になり、道場の中に移動する。そして師範がいらっしゃった。緊張が全身を走る。一斉に入口に走り寄る。「押忍。おはようございます。本日の審査、よろしくお願いします。」大きな声でご挨拶をさせていただく。いよいよ審査が始まる。緊張感が高まるのと同時に身が引き締まる。社会生活でも緊張を感じる場面が多々あるが、それとは別世界の緊張感である。この緊張感だけでも糧となり、色々な場面で役立ってきている。筆記審査が終わり、実技審査に入る。号令は豊田先輩だ。太鼓の音が道場に響き渡る。凜とした雰囲気に包まれる。準備運動が始まる。体が硬い。足が開かない。後ろに反れない。体がギシギシと音をたてているようだった。基本の審査に入る。突き、受け、蹴りが手と足だけの力任せになり、体軸から力が流れていかない。力任せの為、どんどんとスタミナが失われていく。気合の声も落ちていき、師範から激が飛ぶ。気合の声が落ちていくということは、弱さの表れでもある。気合を入れなおす。移動の審査に移る。体軸が安定していない為、体がぐらつき、突き、受け、蹴りに、力強さとキレを出すことができない。しかもやはりスタミナがどんどん失われる。最後まで立っていられるだろうかという不安が頭をよぎる。型の審査も、審査の対象にさえなって無かったと思う。覚えたはずの動きができない。体がついていかない。いつ師範に、「高日は審査終了」と言われてもおかしくない出来であった。社会人の悪い癖が出てしまっていた。社会人は体裁を考えてしまう。そしてその体裁は、簡単にばれてしまう。特に師範の前では、そんなものは全く通用しない。頭で考えるのではなく、素直さ、純粋さの中でひたむきに一つ一つ努力するという、生きていく上で非常に大事なことを置き忘れてしまっていた。その努力が実を結び、本当の形となって現れるのだと思った。審査は続いたが、もう補強の段階で、精神力、体力共に、限界の波が押し寄せて来ていた。帯締め、帯飛びに続き、最後の組手である。果たしてやり遂げることができるのであろうか。いや立っていることができるのであろうか。最初は、相手の動きを見ながらのスパーリングから始まった。それが終わり、一旦後ろに下がったが、少年部に目を配れなかったということで、師範から激が飛び、道場の外でジャンピングスクワットになった。いつも言われていること、指導していただいていることができていなかった。自分の事に精一杯になっているようでは、空手をやっている意味が無いということであり、特に、損得だけに目を向けがちな社会人の悪い部分が、またあぶりだされた。体をもって反省の時間をいただいた後、いよいよ連続組手が始まった。やはり限界は早いうちに訪れた。同じ昇段審査の対象として、越智先生、須田先輩が奮闘する中、一人だけ審査対象外の人間がそこにいた。もう3人目を過ぎたあたりから、体が全く動かず、全身に打撃による痛みが走り、ただただ、相手の攻撃を受けるだけの、まさにサンドバックとなっていた。いつ、師範から竹刀が飛んできて、ここでも「高日は審査終了」と言われてもおかしくない様だった。ただ、この審査に臨むにあたって、自分の中で最低限決めた、最後まで立っていることだけは死守した。組手が終わり、審査が終了した。過去、審査を受けさせていただいた中では最低の内容だったと思う。にもかかわらず、師範より黒帯をいただいた時は、とてもじゃないが、信じられなかった。しかも、一緒に写真も撮っていただいた時は、身体が打ち震えた。勝手に思ったことだが、師範から、「これからも止めずに、続けろよ」という心の声を聞いたような気がした。この黒帯を鏡として、自分の人生に活かしていきたいという気持ちにもなった。師範には、感謝の念に堪えません。本当にありがとうございました。そして、今回、一緒に昇段審査を受けることができた越智先生、須田先輩、組手の相手をしてくださった佐藤先輩、豊田先輩、大村先輩、北崎さんを始め、道場生の方々、そして一生懸命に応援してくださった道場生の方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげで乗り切れたと思います。心から感謝いたします。

乱文にて失礼いたしました。

押忍

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