2015年12月20日、昇級・昇段審査レポート|立川市の空手道場「国際空手道連盟・極真会館(力謝会)・仁心道場」では見学・無料体験を随時募集しています

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昇段レポート

2015年12月20日、昇級・昇段審査レポート

ひとこと

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昇段審査を終えて 

須田 喜達

 

この度、仁心道場昇段審査を受審させて頂きましてありがとうございました。

ここまで自分を引き上げて下さった柚井師範、ウルリカ先生に心より感謝申し上げます。

最後に黒帯を締めたのは実に20年以上前になります。改めて黒帯としての心構えを実感

しております。仁心道場の黒帯として恥ずかしくない振る舞いを心掛けます。

 

審査当日は補強のジャンピングスクワットで完全に体力を消化してしまい、その後の連続組手を開始する前にガス欠状態。足は上がらない、腰は痛い、ただ立っているだけの状態でした。非常に情けなく、日頃の稽古不足を実感致しました。

最終的に30人組手になりましたが、満足いくものではありません。数年前に同じく30人組手を行いましたが、今回は休みなしでの基立ちでの連続ですので体力的にも非常にハードでした。途中からは受けるのみになってしましい、柚井師範から何度も「手を出せ、動け!」との声に「押忍!」と応えるだけで、手も足も出せなく情けない展開に。

今後の課題は稽古量とスタミナ。空手を続けていくうえで年齢を理由にしたくは有りませんので、稽古あるのみでしょうか。

 

柚井師範の道場に入門させて頂き5年ほど経過します。

それまでは空手から完全に離れた生活を送っており、再び極真マークのついた道着の袖に手を通すとは夢にも思っていませんでした。

常日頃、柚井師範が言われている「目に見えない世界」があるとするならば、道場に私自身を引き寄せてくれたのも必然の出来事なのかもしれません。つまり、私自身にとって必要なものということなのでしょうか。

おそらく、道場主が柚井師範でなければ入門することもなかったかと思います。

偶然にも道場の近くに居を構えたことが、引き寄せの法則によるものではないかとさえ

思います。

 

思えば高校入学前の15歳新年明けに初めて極真会館総本部の道場に入門させて頂き35年が経ちます。

当時は1981年に入り極真会館総本部の黄金時代とも呼ばれ、常に道場は多くの稽古生であふれており、毎日多くの門下生が入り、また同じ数だけ減てっていく時代でした。

三瓶師範と中村師範の三誠時代とも呼ばれ、松井先輩はじめ多くの名選手が誕生した時代でもあります。

初めての稽古日は一生忘れることはないです。今も鮮明に覚えています。

当日の指導員の先輩は総本部内弟子・島先輩、同じく内弟子で黒帯を取得されて間もない

若き竹山晴友先輩でした。後にキックボクシングの世界でもチャンピオンになられ、多くの門下生からも尊敬され影響を与えて下さった竹山先輩に初めて拳の握り方を教えて頂いたこと、今思うとこれほど冥利に尽きることはありません。

初めて稽古に参加する者は、とりあえず基本を先輩方と一緒に行います。

その後、自己紹介をして、稽古回数が30日?20日?までに満たないものは1階小道場で最初から基本・立ち方等を先輩から教わります。

竹山先輩は、本当に我々初心者にも丁寧かつ真剣な眼差しで魂のこもった稽古をつけて下さいました。

高校生となり、昇級も順調に進み黄色帯の時に、内弟子の田畑先輩に「高校在学中に黒帯取れるぞ。がんばれ。」と褒めて頂いたことがあります。言葉は魔物と言いますが、黒帯の先輩に褒めて頂くことなど滅多にないので、ものすごくうれしくなり、その晩親に自慢げに話したのを覚えています。結局在学中には取れませんでしたが、この言葉も後々勇気づけの動機になりました。先輩には今も感謝しております。

比較的早い段階で高校在学中に茶帯を頂いたのですが、

当時は茶帯と黒帯の先輩方との差は歴然としてあり、また、比較的昇級はできても下位の

帯にスパーリング等で負けることは許されません。緑帯が黄帯や青帯に負けることは即

退場するようなものでした。私自身も当時周りの先輩後輩は年上の大学生・社会人でしたので、毎回必死でした。まさにやるかやられるかの殺伐とした雰囲気です。

もちろんサポーターなしでスパーリングをしていた時代なので怪我は当たり前。

そんな時代なので、稽古を休めば確実に追いつけなくなります。

宮本先輩がよく言われていました。

「1日休むと3日他の人から遅れると思え。」

まさに、その通りです。稽古についていけなくなり、結果辞めていく。

高校3年になり、若気の至りでしょうか、稽古よりも夜遊びの方が楽しくなってしまった時期がありました。道場から段々足が遠のき、たまに稽古して怪我しては休みの繰り返しで当然ながら、稽古についていけなくなり、とうとう、その日が来ました。

ある日、為永先輩が指導されていた稽古で、ボロボロにスパーリングで先輩方に絞られ

まさにサンドバック状態。為永先輩、七戸先輩方当時の新鋭とされていた強豪選手でもある黒帯先輩方にコテンパにやられました。黒帯先輩方とのスパーが終わった後に色帯の

相手をするのですが、ここぞとばかりに容赦なく攻めてきます。終わってみれば完全に下位の門下生にもやられ、茫然と立っている状態でした。稽古が終わり、掃除をしている私に、為永先輩が声をかけて下さいました。

為永隆先輩と言えば現極真会館・松井館長から唯一技ありを取った当時の若手有望株であり総本部内弟子でもあり、亡くなった真樹日佐夫先生の著作にも登場された大先輩です。

当時、タイガーマスクのブームでしたが、間違いなく為永先輩と真剣勝負をしたら

先輩が勝つと信じて疑わなかったです。強い先輩です。その為永先輩が稽古後に

私の不甲斐ないスパーを見て明らかに稽古不足を読み取り叱咤激励して下さいました。

膝に水が溜まっても稽古されたことや、とにかく野菜を食べてスタミナつけたこと等

圧倒的な強さの裏には、表に出さない努力を絶えずされてきたことを強く感じました。

終わってみれば夜10時を過ぎており、一般の稽古生は誰もいなくなっていました。

私のような若輩者に貴重なアドバイスをして頂き、また、当時は色帯が黒帯先輩とまともに話すことができなかった時代でしたので感銘を受けました。

為永先輩のこの日の出来事は私の心に深く刻み、再度空手を再開することになる原動力にもなっています。空手だけでなく社会人として困難な時にも、思い出すことで乗り越えることも多々あります。為永隆先輩、私にとって人生の恩人でもあります。

30数年前の出来事ですが、総本部内弟子の為永先輩、竹山先輩、田畑先輩の影響で再度空手を復活できたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そして何よりも、私が影響を受けた内弟子の先輩方直属の後輩でもあります総本部内弟子出身の柚井師範の道場に入門させて頂き空手を再開できたことは間違っていなかったことも確信しています。

柚井師範の教えは、間違いなく極真空手の遺伝子を正当に伝承されていると信じています。

現在、極真の看板は希薄しすぎている感がしますが、本質を変えずに伝承している道場は

やはり、大山総裁の身近にいらっしゃった柚井師範をはじめごくわずかな継承者しかいないのではないのでしょうか。

45歳中年男が再度空手を再開して、不思議に若い時よりも空手の魅力に惹きつけられ

武道の奥深さを改めて知り発見したこと。

これは柚井師範の影響であり、師範との出会いがなければ実感することもなかったであろう事象です。極真の看板を下げて仁心道場として独立されましたが、まったく本質は変わることなく、師範がいつも言われている通り、空手を人生のツールとして活用しなければ

意味がないということも、本当に説得力があり賛同致します。

誘惑に弱く自分に弱い私とは対極でいらっしゃる柚井師範は、私になくてはならない人生の師匠であり軌道修正して頂いた恩人でもあります。

今後も、空手はライフワークとして継続していきたいですが、できれば柚井師範のもと

空手修行をさせて頂ければと望んでおります。

私も柚井師範も同じ50歳を超え、確かに時代は変化していきますが、だからこそ本質が大事であるということを伝えることこそが使命なのかなと感じます。

微力ながら仁心道場で学んだことを家族も含め他の方々にも良い影響をもたらせるように

自分自身も精進していければ本望です。

私がかつて影響を受けた偉大な先輩方や柚井師範には及びませんが、少しでも近づけられるよう精進していきたいです。

 

最後に、再度お礼を申し上げます。

柚井師範、ウルリカ先生、北心会・越智先生、道場生の皆様ありがとうございました。

 

そして、

今も空手を続けられるのも柚井師範同様、総本部時代に先輩方の厳しいご指導を頂いたことと極真空手の素晴らしさを教えて頂いたからこそと存じます。

この場を借りて感謝申し上げます。

大山総裁、

為永先輩・脇内先輩・島先輩・竹山先輩・田畑先輩方内弟子の諸先輩方、

二部でお世話になった三好先輩・藤原先輩・宮本先輩・柳渡先輩

初めての夏合宿の宴会で恥をかかせてしまった青木達也先輩

他黒帯先輩方、総本部内弟子の先輩方

 

ありがとうございました。          押忍

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